2015(平成27)年度 第4回授業

「名画に隠されたメッセージ」

講師 吉屋敬先生 画家・エッセイスト。オランダ在住。作家・吉屋信子の姪

 

12月6日(日)10時~11時45分

鎌倉芸術館小ホール

 

 

 

 

 

(授業リポート・要約)

 

 ゴッホを知っている人いる? (大勢(おおぜい)が手を上げる)。


だいたいの人が知っていますね。 (ゴッホの自画像を4枚見せる)。ゴッホは生涯(しょうがい)に自画像(じがぞう)を40枚描(か)きましたが、それぞれ表情(ひょうじょう)が違(ちが)いますね。心の変化が絵に表れているのです。



「人の役に立とう」と伝道師(でんどうし)を目指す


フィンセント・ファン・ゴッホは1853年、オランダのズンデルトで生れました。お父さんは牧師(ぼくし)さんでした。絵が好きで、学校を中退(ちゅうたい)して16歳(さい)のときハーグの画商(がしょう・絵の販売店)の店員になりました。20歳のとき、ロンドン支店(してん)に転勤(てんきん)しますが、失恋(しつれん)して引きこもり、聖書(せいしょ)を一生懸命(いっしょうけんめい)読みました。聖書の「人間は人の役に立つために生きている」という文章に出会って、牧師(ぼくし)になろうと決心します。


ベルギーの炭鉱(たんこう)で伝道師の見習いになり、キリストの教えを貧(まず)しい炭鉱労働者に伝えます。あるとき炭鉱が爆発(ばくはつ)して、たくさんの労働者が亡(な)くなります。ゴッホは自分の洋服を裂(さ)いてけがの手当てをするなど、献身(けんしん)的な救援(きゅうえん)活動をしますが、それを伝道師協会に批判(ひはん)されて、伝道師になることをあきらめ、放浪(ほうろう)の旅に出ます。



27歳で画家になり「馬鈴薯(ばれいしょ)…」を描く


旅の途中(とちゅう)で画家になろうと思うようになり、27歳になってオランダで絵の修業(しゅぎょう)を始めます。そして32歳のとき、貧しい農家と出会い、有名な「馬鈴薯を食べる人たち」を描きます。この絵には、農民の労働の崇高(すうこう)さや家族を大切にする姿(すがた)に共感と尊敬(そんけい)を抱(いだ)いたというゴッホのメッセージが込(こ)められおり、私の大好きな作品の一つです。

その後、パリに出て、印象派(いんしょうは)の画家たちと交流します。そのころ日本の浮世絵(うきよえ)がもてはやされており、ゴッホも浮世絵を模写(もしゃ)したり、自分の絵に浮世絵を取り入れたりしました。そして、日本に強いあこがれを抱きます。



耳たぶを切り落とす


2年後、明るい日本の風景に似(に)た場所を求めて南フランスのアルルに移(うつ)り、芸術家の共同生活をするために「黄色い家」を借りて住みます。パリで親しくなったゴーギャンに声をかけ、彼がやってくる間に「向日葵(ヒマワリ)」の絵を4点描きます。ゴッホは太陽に向かって咲くヒマワリが好きでした。彼はその絵で、愛、尊敬、信頼というメッセージを伝えようとしたのでした。

やがてゴーギャンがやってきて、一緒(いっしょ)に暮(く)らし始めます。しかし、意見が合わず、けんかが絶(た)えません。ゴーギャンがヒマワリを描いているゴッホを描いたところ、ゴッホは「これはぼくの気の狂(くる)った姿(すがた)だ」と言いました。そして自分で左耳たぶをナイフで切り落とします。ゴーギャンはゴッホを入院させてパリに帰ってしまいます。

 ゴッホはサン・レミの精神(せいしん)病院に自分から入院し、絵を描き続けます。麦畑や糸杉(いとすぎ)の絵を描きますが、描くときは普通(ふつう)の精神状態(じょうたい)に戻り、美を見る目は確(たし)かでした。



ピストルで自殺


 1年後の1890年、弟テオの世話でパリ郊外(こうがい)のオーヴェール・シュル・オワーズ村に移(うつ)ります。パリに住む弟一家を訪(たず)ねたとき、テオと奥(おく)さんがけんかするのを見たゴッホは、「弟がぼくにお金の援助(えんじょ)をして貧しくなったことが、けんかのもとではないか」と悩(なや)みます。彼がここで描いた最晩年(ばんねん)の作品「雷雲(らいうん)の下の麦畑」には、自然の静けさの中に、不安感や孤独感(こどくかん)が表されています。

 そしてこの年の727日、丘(おか)の上でピストルで脇腹(わきばら)を撃(う)って自殺をはかり、歩いて宿屋に戻(もど)り、2日後に亡くなります。37歳という短い人生でした。お墓はこの村の共同墓地(ぼち)にあります。テオもあとを追うように翌年1月、病気で亡くなり、ゴッホのお墓の隣(となり)に埋葬(まいそう)されました。

今日お見せした絵が、みなさんの頭に残っていたら、実物を見たとき、今日の話を思い出してくださいね。


◇ 質問コーナー ◇

 

Q(4年生) ゴッホはなぜ脇腹を撃ったのですか。

吉屋敬先生 本当は死ぬ気はなかったと思います。世話をしてくれていた弟テオが貧しい生活をしているのを知って、死ぬほど悪いと思ったポーズだと私は考えています。


Q(4年生) 先生がいちばん好きな絵はどれですか。

吉屋敬先生 「馬鈴薯を食べる人たち」です。ゴッホのすべての気持ちが、この絵に込めていると思うから。あとは麦畑の絵ね。


 Q(4年生) ゴッホ以外に好きな画家はいますか。

吉屋敬先生 1400年代のオランダの画家ヤン・ファン・エイクです。(絵の技術(ぎじゅつ)の)すべてのことをした画家です。


Q(6年生) なぜゴッホを研究しようと思ったのですか。

吉屋敬先生 横浜の小学校4年生のとき、絵画教室の先生がゴッホの画集を見せてくれて、すごい絵だなと感動し、絵描(えかき)きになろうと思いました。そして20歳のときオランダに留学(りゅうがく)して、ゴッホの歩いたあとを追って調べるようになりました。そのことを本にも書きました。(注:『青空の憂鬱(ゆううつ)』(評論社)


(文責・矢倉久泰、写真・仲島孝、中村和男)