2021年度(令和3年度) 第3回授業

  

 2021年度子ども大学かまくら第3回授業

「言葉ってなに?」

講師 長島 知正先生 早稲田大学理工学研究所 (しょう)へい研究員

2021年10月30日(土)午前10時から

鎌倉芸術館小ホール

 

 

 

 (授業レポート)

 

 

皆さん、おはようございます。私は子ども大学かまくらで、お話することを楽しみにしてきました。今日のタイトルは「言葉ってなに?」です。日本語がどういうものか、どういう役割やくわりをはたし、どんな働きをしているかを皆さんと一緒いっしょに考えたいと思います。

 

最初に、これからお話することを簡単(かんたん)に要約します。

 

 

 

 

2、3000年前からの(むずか)しい問題

「言葉ってなに?」という問題は、2、3000年も前の昔から、世界中で考えられてきました。結果的には現在も未解決です。そのぐらい難しい問題です。

ここでは、もし言葉が私たちの世界になかったらどうなるかを考えてみます。

言葉がなかったら生活するのに(こま)ります。他人の意思や考えなどを知ったり、答えたりするコミュニケーションができなくなります。

私が話をしても、皆さんには何を話しているのか理解できません。学校の先生がいろいろ説明しても、何を言っているのか分かりません。つまり教育とか学習が成り立ちません。このように言葉は人間の生活で大切な働きをしています。

 

言葉を使うことと、ものを知ることに共通点

言葉は、人間どうしのコミュニケーションのほかに、もっと大切なことをしています。

私たちは目とか耳で外の世界からの刺激(しげき)に反応します。しかし言葉がないと、それはどんな世界で、具体的にどんな状態にあるかという認識(にんしき)、つまり知ることができません。人間がものを認識することと言葉は、非常に密接(みっせつ)な関係にあります。どのような関係にあるのかを説明するのは、これまた非常に難しいです。

最初に、言葉はどうして使うか、どのように伝わるか。つまりどういう時に言葉が通じるか。(うら)を返すと言葉が通じないこともある。通じるためにどういう条件が必要かという話をします。

二番目に言葉の(かく)れた性質として、音で表現する話し言葉と、文字で表現する二通りの表現の仕方があります。それがちゃんと使えるためには、人間の知的な能力が必要です。

 

一番大切なポイントは、言葉を使うことと、何かを知る、認識することに共通点があることです。共通点があるからこそ、言葉は大切だという話につながってくるわけです。そして、最後に話を簡単にまとめます。

 

 継承けいしょうが難しい少数民族の言葉

最初に言葉はどうして伝わるのかという話に入ります。言葉の中でも、すでに研究されている分野、一般(いっぱん)言語学と()ばれている分野を最初に説明します。

人間は言葉を話す動物です。言葉を話せる人間と他の動物との(ちが)いはどこにあるのか。これをはっきりさせることが一つの問題点になります。現在、世界では6000とか7000という想像を()える数の言葉が使われています。

ところが問題があります。それは多くの言葉は文字がない。音声でやり取りする話し言葉なんです。今の時代は録音できますが、昔は文字がないので、記録が取れない。そのため世代が交代すると、その言葉は消滅(しょうめつ)してしまう。継承が非常に難しいのです。

日本語の場合は文字と音声両方を使っているので、消滅することはありません。しかし北海道のアイヌ語、北極のイヌイット語は言葉を継承するのが非常に難しい。多くの言葉が(あぶ)ない状態です。

 

言葉のキーワードはカテゴリー

人間の言葉にはどんな特徴(とくちょう)があるのか。6、7000という言葉に共通する性質とはどんなものか。それを調べることによって、 その言葉の最も本質的なことは何かを明らかにしていくのが、言語学の目指すところです。

例としてお父さんと子どもの会話を取り上げます。こんなやりとりです。

お父さん「居間にあるテレビの左側にあるボールペンをとって」

子ども「はい」

この会話で、言葉はどんな働きをしているのかを考えてみます。お父さんの「とって」という(たの)みの言葉を、子どもは理解したので「はい」と答えた。言葉が通じたのです。

もう一つ大切なのは、ボールペンが居間の(つくえ)の上にあること、つまり言葉と言葉の間の関係を子どもは理解したのです。このように言葉は、自分たちの周りの世界をカテゴリー分けすると言います。やさしく言うと、区別して分類することです。このカテゴリーという言葉は今日の話のキーワードです。

 

 言葉の伝わる仕組みを明らかにしたソシュール

それでは言葉は、どういう時に伝わるのか。言葉は人と人との間での考え、意思、感情を声によって伝え合う、これによってコミュニケーションが図られています。

お父さんの「居間の机の上にあるボールペンを取って」という依頼(いらい)に、子どもは「はい」と答えたことで、言葉が伝わったのです。どういう条件があれば言葉は伝わるのか。伝わるとは何が伝わっているのか。それをこれから考えていきます。

 

言葉が伝わる条件を初めて論理的(ろんりてき)に明らかにしたのがスイスの言語学者・ソシュールで、(かれ)は近代言語学の分野を切り開いた父と言われています。

彼がどんなことを考えたのか。お父さんが頭に()かんだ言いたいことの内容、意味をソシュールは概念(がいねん)と言っています。お父さんの頭で考えた概念が言葉の声になり、それがノドから出て、空気中を伝わって聞き手の子どもの耳に(とど)きます。すると子どもの頭の中では、その音声に対応した言葉の意味が引き出されるのです。こういうことが一瞬(いっしゅん)の間に起きて、話し手の言葉が聞き手に伝わります。

 

 コーディングとデコーディング

これは、ソシュールが書いたモデルの概念図です。例えば、右側の話し手の頭の中で、Cという概念がつくられると、それが頭の中で音のイメージに変えられます。そのイメージに(したが)って話し手は、その音のイメージを言葉にして発声します。それは発声器官であるノドや口の(した)をうまく使って音をつくり出します。そして空気中にそれが音波として伝わっていきます。その音波が聞き手に届くと、これと逆なことが起こります。

伝わることを最近は、コーディングと言っています。小学校でのプログラミングでも使っています。コーディングは符号化(ふごうか)とも言います。それは話し手の言葉の意味を話し手の音声として表す。つまり意味と音の対応です。

聞き手は音が耳に到着(とうちゃく)した時、コーディングとは逆に、音声を言葉の意味に(もど)す。音声から意味へ切り()える対応をデコーディング、復号化と言います。こういう音声記号、つまり音声とその意味との対応を記号で示したものをコード表と言います。

 

大切な音声・文字・意味の対応関係

そのコードの元になっているのがモールス記号です。モールス記号は、アルファベットのABCDを「トン」「ツー」という長、短2種類の組み合わせで、アルファベットの47文字を表現する仕組みです。

モールス記号は音ではありません。音の代わりに文字を使うと考えれば、文字や記号の意味との対応を、このコード表が示していると理解できます。その言葉を使って先ほどのソシュールの解釈(かいしゃく)で見直すと次のようになります。

つまり話し手による音声の符号化であるコーディングと、聞き手のデコーディングである複号化で、同じ対応の規則が使われれば、 話し手の伝えたい言葉の意味が聞き手に伝わることになります。これが先ほど説明した言葉が通じる条件、あのソシュールの解釈になります。この最低条件が満たされていないと言葉が通じません。最低条件ですから、これだけで十分じゅうぶんではなく、言葉が通じるためにほかの条件が必要な可能性があります。

いずれにしても、このコード表という、音声と文字と意味の対応関係を示す対応表は、言葉を習うときに必ず必要になるもので、同じ言語を使う社会の社会的な約束事です。

そのために皆さんは言葉の意味を丸暗記させられる。それはおもしろくないけれど、ある程度の数の言葉の意味を理解しないと、言語社会で大人として独り立ちしていくことは困難になります。ここで休憩(きゅうけい)にします。

 

(休憩)

 

(こと)なった音質の「あ」でも同一の「あ」と認識

ここからは、学校の国語の授業では()れない「言葉には(かく)れた性質がある」ことをお話します。言葉をちゃんと正しく理解するためには、言葉の隠れた性質を理解する必要があるからです。少し話が抽象的(ちゅうしょうてき)になりますが、チャレンジしてください。カテゴリーという言葉が意味している内容を理解できるかどうかがポイントです。

隠れた言葉の性質として、音、音声に注目します。隠れたという意味はどういうことか。実は音声は、同じ人が声に出した「あ」という音でも、「あ~」「あー」「ああ」「あア」というように音が全部違うんです。感情が入ったり入らなかったり。相手に命令する、しない。相手の同意を取る。お願いしたりする。そういう場合に 同じ「あ」の音でも、口から出た音は異なった音質の声に変化します。

にもかかわらず、人は聞いた時に同じ「あ」の音として聞く。つまり物理的には違っていても、同じ「あ」として理解します。高い「あ」の音でも、低い「あ」の音でも、太い「あ」の音でも、女でも男でも、それは音として物理的には全部違っています。それでも同じ一つの「あ」と認識するわけです。

 

ノイズか言葉かを見分ける脳の働き・同一視(どういつし)

この微妙(びみょう)な違いを、皆さんは日常、言葉を聞いたり話したりする時に意識していません。見過ごしてるのです。物理的に違う音声であっても同じ種類の音声として認識しています。このような人間の脳の働きを同一視と言います。違うものを同じように見る。違う音を同じとみなす能力を人間の脳は持っています。

これが人間とほかの動物との違いにつながっている可能性があります。つまり言葉が伝わる条件として音声を同一視する必要がある。それは頭に知的な性質があるからです。

もう一つ、音声と言葉の意味との間に存在して、対応する関係をつなぐ役割(やくわり)を果たしているのがコード表です。私たちは何千というたくさんの数の言葉を聞いても、その大半を意味のないノイズとしてしか聞こえません。うるさいと感じる。動物が鳴いてるのと変わらない。私も言葉の意味が分かる外国語は、片手(かたて)ぐらいで、ほとんどがノイズです。ノイズか、意味を持った言葉として聞こえるか。その違いは言葉をつくる条件としてのコード表を共有しているかどうかです。

 

言語を使う社会の人は同じコード表を共有しています。別の社会に行くと違うコード表になってしまう。だから言語は意味が伝わらない、脳が「うるさい、ノイズだ」と判断するわけです。

 

言葉を考える邪魔(じゃま)になるのが辞書

こうした知的な話の裏には、言葉の隠れた性質が使われている。これからお話する「言葉の意味」ついても同一視が必要になります。同一視という頭の働きが先ほど説明したカテゴリーという考え方の裏にあります。これから「言葉の意味」を考えるわけですけど、意味を考える時に理屈(りくつ)の上では邪魔になる話があります。それは何かと言うと辞書です。

皆さんは、分からない言葉があると辞書を引きます。ところが国語の辞書に何が書いてあるかと言うと、人間の経験を何の体系(たいけい)もなしに集めたものです。だから辞書は常識的で有益です。しかし、そこで書かれている言葉、項目(こうもく)はバラバラで体系的ではありません。だからこそ辞書はあいうえお順に(なら)べられています。つまり意味の間の関係は辞書には書いてない。だから言葉を考えるときの邪魔をします。

 

辞書によって違う「言葉の意味」

辞書には問題点が他にもあります。例えば辞書によって「言葉の意味」が違っていることがあります。例えば、「机」という「言葉の意味」を調べてみます。集英社の辞書には「書き物 読書などに用いる台」と出ています。岩波書店の広辞(こうじ)(えん)には「一番目として飲食の器物、器を()せる台、食卓(しょくたく)。二番目として書を書く、字を書くのに用いる台」となっています。辞書によって意味がズレる、出ている、出ていない、という差があります。

 

もっと辞書の特徴を表している例があります。「石」という言葉です。私が調べた辞書では、「岩より小さくて砂粒(すなつぶ)より大きい岩石の(かたまり)」と説明しています。その「岩石」を調べると、なんと「大きな石の塊」と出ている。石の意味を調べるために辞書を引いたら、最終的には「それは石だ」となる。説明になっていない。だから辞書を見る時には注意が必要です。

 

「言葉の意味」を理解する最低条件は区別、分類

「言葉の意味」について理屈をこねるとは、どういうことか。難しい話になりますが、ちょっとお話しします。

広辞苑で「言葉」をひくと「意味」について二つ書いています。

一つ目のAは「言葉の表す内容」、二つ目のBには何の説明もなしに、いきなり「言葉が指示する物、あるいは事物。それで書いたもの」となっています。これは、どういうことでしょうか、私も分かりません。悩んで、考え、一つの結論を出しました。

そもそもBの説明は「言葉の意味」と、どう関係してるか分からない。「言葉が指示する物、あるいは事物」とある。これがどうして「言葉の意味」とつながるのか。まずここを明らかにしないと話が進みません。そのことを少し取り上げてみます。

 

 

「言葉の意味」は、言葉が指示する物のカテゴリー化

その手がかりは、先ほど説明したお父さんと子どもの会話にあります。それをヒントに 「言葉の意味」が分かるとは、どういうことかを考えていきます。

お父さんが「ボールペンを取って」に、子どもは「ハイ」と答える。子どもはボールペンという種類を、その他の消しゴムやホチキスの種類とは区別ができている。つまり言葉が分かる最低条件は、言葉が指示しているものを区別、分類できる、カテゴリー化したということです。

広辞苑のBの説明の「言葉が指示する物、あるいは事物」は、こういうことを説明したかったのではないかと思われます。

つまり「言葉の意味」というのは、言葉が指示する物の区別、分類。分類したカテゴリーということになります。カテゴリーとは何か。簡単に言ってしまえば同じ種類のものを集めたものと考えてください。

 

普通(ふつう)名詞(めいし)と固有名詞の違い

そこでカテゴリーという概念を言葉に引き寄せて具体化してみます。言葉は、だれが、いつ、どこで、なにを、どうしたという形の文章として使われます。文章で大切なのは「だれが」という主語です。主語に相当する単語があって、その単語は文法的に言うと品詞(ひんし)として名詞です。

名詞には普通名詞と固有名詞があります。固有名詞は花子、太郎(たろう)といった一人ひとり個人に付いている名前です。同時にその花子、太郎は人間でもあるわけです。花子、太郎を人間という集団として(あつか)うのが普通名詞です。同じ種類のものを集めたもののことです。

 

例えば、鎌倉の山には木がたくさんあります。「木」という言葉は普通名詞で、木の種類としてサクラやカエデといった固有名詞を持った木がたくさんあります。「動物」というのも普通名詞です。「動物」という普通名詞の中には人間や犬、(ねこ)、鳥という同じとみなされるカテゴリーがあります。さらに「犬」であれば、種類として柴犬(しばいぬ)、ブルドッグ、チンなどに分類されていきます。これは先ほど説明した同一視、音声で言葉を結びつける話と結びついてきます。

 

同一視できる存在(そんざい)が集団・カテゴリー

普通名詞というのは、同じとみなされる種類のものがたくさん集められた集団のことを指していて、同一視できる存在です。これをカテゴリーという言葉で言うこともできます。もしも普通名詞がなくて、全部固有名詞だったらどうなるか。つまり「犬」ではなく、ポチとかハチとかだと、カテゴリーは一種類しか存在しなくなります。全部、集まってもバラバラなだけで、同一視、カテゴリー化ができなくなる。

普通名詞でのカテゴリーの例として、ここに書いたのは 「動物」というカテゴリーです。普通名詞の大切なポイントは集合ですから、たくさんのものがその中に要素として含まれてます。一番大きいところで「動物」というカテゴリーがあって、その「動物」という中に「人間」「犬」「猫」というカテゴリーが(ふく)まれています。

さらに「人間」というカテゴリーを分類してみると「日本人」「アメリカ人」「ギリシャ人」という国籍(こくせき)のカテゴリーの違いがあります。さらに「日本人」の中には、「太郎」「花子」といった固有名詞で呼ばれる要素がごちゃごちゃとあるわけです。日本人は皆、名前を持ってますから、無限に近いほど多くの人間が含まれています。

 

 

飛ばないペンギンは「鳥」なのか

つまり理論上は、「言葉の意味」は「言葉が指示する器物のカテゴリー」と考えていこうとしています。問題はカテゴリーをどうとらえるか、という話になります。いくつかの新しい考え方があって現在、研究中です。

 

新しいカテゴリーの例として、「集合という要素の中でも均一なものはない」という発想です。例えば鳥にはスズメとかツバメ、ウグイスのような典型的な鳥がいます。ところが空を飛ばないペンギンのような鳥もいます。つまり飛ばないペンギンまでひっくるめて完全な鳥というカテゴリーを決めることができるかどうかは非常に難しい。現在、新しい分野として研究が進み始めています。

 

 認識というのは感覚的な判断

もう一つの話に移ります。言葉の隠れた性質として言葉がなぜ大事かということです。 それを一言で言いますと、言葉は単にコミュニケーションをする道具ではない。別な言葉で言うと、言葉は人間が考えて何かを認識すること、もっと分かりやすく言えば、広い意味での思考と密接に関係していることです。

今日の話で皆さんは「あれ?」と、何回も思ったのではないでしょうか。認識という言葉を何回も使いました。言葉を勉強するときに難しいことの一つは、いろんな専門(せんもん)分野の人によって言葉の定義の仕方が違っていることです。これは非常に困ったことですが、少なくとも今日の話では認識という言葉をこういう意味で使っています。

つまり認識というのは感覚的な判断であって、ものがあった時、それが何であるかを感覚的、直感的に知る、無意識のうちに行われる単純(たんじゅん)な判断です。つまり、あそこにペンギンがいる。これは意識してペンギンだと認めているのではなく、見たらわかる。無意識のうちに頭で行われている単純な判断です。

 

普通は判断と言うと難しい論理学で扱うような判断と受け止めます。しかし、その考えが正しいかどうか。ここで言う認識とは少し違います。言葉との関係で言いますと、例えば「あそこにペンギンがいる」という言葉を発したとすると、その物事を「ペンギン」としてとらえるというとらえ方になっている。これは実を言うと言葉なしにも、それと同じことが行われています。

 

哲学者(てつがくしゃ)カントは、認識する言葉なしに判断

つまり物事を「ペンギン」としてとらえることをカテゴリー化と言いますが、「あそこにペンギンがいる」と言った時、あそこにいる何かをペンギンとしてとらえたということを、実は判断としてやっている。意識をしてやっているわけではない。もう見たらペンギンだというふうに答えを出しちゃう。それは無意識のうちに行なわれている。大切なことですが、言葉と認識に共通する見方があることを、最後に言わせていただきます。

実は、そのことはヨーロッパの伝統に認識論という分野があって、カントという有名な哲学者が「人は対象の性質を、言葉を使わないでカテゴリー化して判断する」と言っています。つまり認識する言葉なしに、あそこに何かがあると判断するということです。

一方、言葉は、目に見えたさまざまなものを切り分けて、言葉として発します。そこにいるのはペンギンだという言葉にします。言葉を使わなくても実はこれもう判断が無意識のうちに行われているというのが西欧(せいおう)で行われてきた哲学分野の見方です。

言葉と認識にはカテゴリーにわけるという見方が共通している。これが今日のポイントです。つまり、このことは言葉の隠れた性質が、人と世界をつなぎとめている言葉の力の(みなもと)になっていることを示しています。

 

意味が通らない「自粛(じしゅく)要請(ようせい)

最後にまとめを簡単にして終わりにします。()り返しになりますが、話した言葉の隠れた性質を知ることは、言葉を正しく理解する上で非常に大切です。社会のリーダーとなる人が、言葉の隠れた性質をちゃんと理解してないところが見受けられます。

例えば今コロナで社会は困っています。その時に使われた言葉は「自粛要請」という言葉です。難しい漢字ですけが「自粛要請」という言葉は意味が通らない。つまり「自粛要請」の「自粛」という意味は、自らが決めることです。一方、「要請」とは、他人からの依頼を意味します。もし他人からの要請で自粛したとすれば、それは自粛ではないのです。

こういう矛盾(むじゅん)した言葉づかい。これは「丸い三角形」と言っているようなものです。

この言葉をマスコミでも平気で使っている。新聞も堂々と載せている。これは意味がない。言葉を破壊することです。最後に一言だけ言って終わりにします

 

「私と世界をつなぎとめているのは言葉です」

 

 (了)


    質問コーナー ◇

 

Q 5年 「文字がない言葉」みたいな感じは、消滅(しょうめつ)してしまうみたいな説明があったんですけど、言葉と文字ってどっちが大切なんですか?

  

長島 先生 言葉と文字は、どっちも大切ですね。言葉であるためには先ほど説明したように音だけでは欠陥(けっかん)なんですね。すぐわかるように教科書には文字で書かれている。先生はそれを読み上げているから分かりますが、2つのルートを通して 分かるようにしてる いうのが言葉ですね。どちらも大切ということです。

 

Q  6年 世界では英語とかフランス語とかドイツ語とか、なんでいろんな種類の言葉を話すようになったんですか?

 

長島 先生  かなり本質的な問題ですね。言葉というのは文化です。民族の言葉を使う社会に住む民族の文化ですので、いろんな世界の中で、いろんな民族の人が、いろんなところに住んでいます。いろんなところに住んでる社会がいろいろある。それが文化そのものなんですね。人間は文化をつくるという本能があるということでしょうね。

 

 

(文責=横川和夫 写真=島村國治)