2022年度子ども大学かまくら第2回授業
「ファインダー越しに見つめる世界
―世界の貧困地、紛争地、被災地から―」
講師 佐藤 慧 先生
認定NPO法人 Dialogue for People代表;フォトジャーナリスト)
2022年8月1日(土)10時~12時
鎌倉生涯学習センターホール
(授業レポート・要約)
フォトジャーナリストという仕事
写真を通じて世界で起きていることを伝える仕事。紛争の傷跡が残る建物、街や人々の3枚の写真。
人生を変えた2001年9.11同時多発テロ
高校生の時、TVで高層ビルに2機の飛行機が突っ込んでいく姿を見た。「事故?いやこれは戦争なんだ」、恐ろしさ、テロリストという言葉が心に刻まれた。
サンビアで支援活動に打ち込んだ日々
ザンビアは、アフリカの貧しい国。その地で私は、学校や井戸掘りのNPO支援活動をしていたが、田舎では電気・水道・ガスもほとんどなく、肉を食べるのに自分で動物を殺さなければならなかった。「(命を)いただきます」を実感。そんな不便な生活でも、「ありがとう」と言えるのは、不幸なのだろうか?
イスラム国の兵士に会いに
シリアのラッカ、イスラム国(IS)を排除しようと外国が、市街を空爆。そのISの兵士の収容所で話を聞いた。彼らも同じ人間、シリア政府の残虐さに憤り、ISに加わったという。そのISと戦う女性兵士も、家族を守るために武器を取った。どんな理由であろうと、人が殺しあう状況を作ってはならない。シリア北部の戦地で左足を失ったサラちゃん8歳の訴え「なんで私がこんな目に、戦争なんて止めてと大きい人達に伝えて」
東日本大震災で起きたこと、私の家族のこと
2011年3月11日の東日本大震災、巨大津波に襲われ、2万人が亡くなり、原発事故の被害も続く。その時、両親は陸前高田に住み、私はザンビア。ニュースで巨大津波を知り、急遽帰国。陸前高田市街の津波破壊はすさまじく、紛争地の街の破壊とは比べものにならない。医師の父は津波を被った4階建ての病院の屋上へ避難、ようやく連絡が取れたが、母の消息は不明。街は遺体の放つ異臭が満ちていた。そして、母を探して1月余り、川を9km遡ったところで遺体が見つかった。その後も父は亡くなった母を想い、毎日涙を流し苦しみ悲しんでいたが数年後に亡くなった。
『しあわせの牛乳』がくれたヒント
山地での放し飼いの循環型の搾乳酪農。その地は、極寒で豪雪の雪国だが、その冬の大地は、死の世界ではない。積雪は春に向かって外表面からではなく地面側から解けてゆき、その水はじっくり山に浸み込み、春の命を育んでゆく。
私も震災後に自然の循環を強く感じるようになった。大切な人を失い、苦しくつらい経験をした時間は、どれほどその人が大切だったのかに気付く時間、その冬の時間は、ただ頑張るのではなく、ゆっくり過ごして良い時間。戦争や貧困、災害で傷つき、苦しんでいる人にもそのように優しく向き合うことできるようになった。
◇ 質問コーナー ◇
Q 6年生 外国への支援のための募金先を迷う、どこがよいか教えてください
佐藤先生 自分の関心や興味に合わせて募金先をみつける、D4Pも寄付を受けている
Q 4年生 食料など支援物資が支援先に貯まってしまうことがあると聞いたが物資をうまく届けるには?
佐藤先生 誰がそれを欲しいのかニーズとタイミングをしっかり合わせ、分け方を工夫し、さらに進歩させたい
(文責=中村和男 写真=島村國治)