<コロナ禍への講師陣メッセージ>

コロナ禍の今だから ― 過去の講師からのメッセージ ―

 

No.1 コロナ禍を正しくこわがるために ― 寺田寅彦に学ぶ ―

 

中村和男先生(長岡技術科学大学名誉教授)

 

担当授業:2013(平成25)年度第5回授業「技術が世界を動かす」 

 

 世界中の人々が、新型コロナウイルスに感染かんせんして、命や健康をうばわれ、社会や経済けいざいの活動もすっかり落ちんでしまっています。しかし、この感染症が、いつどこで始まり、どう広がり、どうしたら終わらせることができるのか、見通すことは極めてむつかしい状況じょうきょうです。

 ここでは、明治~昭和初期のすぐれた物理学者であり、科学的な見方を通して社会、文学、芸術など(はば)広い分野で名言を残した寺田寅彦(1878- 1935)のエッセイ集「科学と科学者のはなし」[1]から、コロナによる(わざわい)に向きあうためのヒントを得たいと考えました。

 

(1)禍についての認識(にんしき)と取組み姿勢(しせい)

『天災は(わす)れた(ころ)にやってくる』という寺田の有名な言葉があります。大災害を経験しても、年月がたつと、(まれ)にしか起きない天災には必要な備えを忘れてしまう、と人間の(おろ)かさをいましめたのです(津波(つなみ)と人間」(かれ)は学者としての後期には地震(じしん)・火山・海洋・気候の研究を進め、自然災害についてのたくさんの防災提言を行いました。このコロナ()も、自然現象と人間活動が(から)んだ地球規模(きぼ)感染症(かんせんしょう)によるもので、備えをおろそかにしてきたことがもたらした災害ともいえるのです。

コロナ禍で注目すべきは、『正しくこわがりましょう』です。寺田の一文「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」がもとになっていて、自らも、科学的研究を通して(かみなり)や地震に対して「こわいものの征服(せいふく)ができたとしています。

 

新型コロナという未知の感染症については、次第に病気の特徴(とくちょう)症状(しょうじょう)の経過、感染の仕組みや経路、治療(ちりょう)(やく)やワクチン開発など新たな科学的知見や成果が積み上げられてきました。パニックにならず、信頼(しんらい)できる科学的な情報から“病気を知り”、それらに基づいて適切に対応し、“こわさ”を着実に征服して行く必要があるのです。

 

 

(2)物理現象としての感染の仕組みは

寺田は、身の回りの自然現象についても、科学的にとらえることを(すす)めています。茶碗(ちゃわん)の湯」では、熱い湯の入った茶碗の湯面から立ちのぼる湯気の正体に始まり、湯気の(うず)の発生原理が雷雨(らいう)のでき方に似ていること、湯の中に見られる(しま)模様(もよう)と“かげろう”が同じようなもので、飛行物体周囲の気流の動きの“見える化”にも役立っていることを説明し、さらに、湯の表面からの熱の()げ方の“むら”の仕組みを大陸と海洋間の“モンスーン”の理解にまでつなげています。

次に塵埃(じんあい)と光」では、空気中に浮遊(ふゆう)する(ちり)に太陽光が当たったときの見え方が光線の散乱(さんらん)象で説明でき、たばこの(けむり)の青味なども同じ原理によるとしています。

私達は、コロナ感染の仕組みとして、空中での飛沫ひまつの飛散や微粒子びりゅうしの浮遊の働きを学んできました。その飛沫の飛散や浮遊の様を実験動画でとらえ、対人位置や距離きょり、マスク着用、換気かんき遮蔽しゃへい版の効果を見ることができます。これらは、上述の熱と気流の関係や空気中を浮遊する塵による光の散乱現象を知ると理解が深まります。

実際の撮影(さつえい)では、「可視(かし)光源(こうげん)と、レーザが微粒子に当たって発生する微弱(びじゃく)な散乱光を高感度カメラで撮影するシステム」(新日本空調㈱HPより)が用いられます。さらに、こうした実験と物理現象の科学的原理により、空中での飛沫の飛散・浮遊現象は、(しょ)条件を変えて、スーパーコンピュータ“富岳(ふがく)”でもシミュレートされ、計算結果を動画で見られるようになりました。

 

(3)社会現象としての感染の伝わり方は

寺田は、人や動物の群行動が示す現象を、科学的にとらえることに関心を持ちました(「物質群として見た動物群」[2])。ここでは、電車の乗客の時間的な集中利用が混雑と電車の(おく)れをもたらす中でも時に空いた電車を生みだす現象を紹介(しょうかい)します(「電車の混雑について」)。

 

現象観察の原点は、通常、電車の路線と方向で、混雑する時間帯が決まっているものの、実際は「駅のホームにつぎつぎと入ってくる電車は満員が続くが、まれに一台くらいはかなり楽なのが来る」との気づきにありました。混雑の(はげ)しい電車は、駅での乗降(じょうこう)に多くの時間を要し、ダイヤに遅れを生じ運行間隔(かんかく)も長めになり、各駅でより多くの乗客を乗せなければなりません。満員電車が続いた後、何かの加減で乗客が少なめの電車が来ると、その電車は停車時間も短めで()み、運行間隔を短縮(たんしゅく)させ車内の混雑も(おさ)えられます。混んだ電車はますます混み、空いた電車はますます空くことになります。群行動が、群としての特有な作用に支配される可能性を指摘(してき)していたのです。

 

コロナ感染は、世界規模で拡大(かくだい)縮小(しゅくしょう)の波を()り返しており、その収束(しゅうそく)に向けたワクチンや治療(ちりょう)薬の開発・投与(とうよ)の効果を見通すのも(むずか)しい状況(じょうきょう)です。歴史的にも世界は感染症の大流行を経験し、集団における感染の仕組みを数学的法則や数式でとらえる数理モデルで表し、感染拡大・縮小過程を科学的に分析(ぶんせき)・予測し、適切な対策(たいさく)(さぐ)ることも行われてきました。

 

 

わが国でも202045月に緊急(きんきゅう)事態宣言(せんげん)が出された(ころ)には、国民の公私(こうし)にわたる行動自粛(じしゅく)がもたらす感染拡大への影響(えいきょう)のモデル予測が(さか)んに報道されました。この数理モデルには、人と人の接触(せっしょく)の折に感染者から非感染者に一定の割合で感染して全体の感染者数を増やすこと、感染者も一定の割合(わりあい)抗体(こうたい)を得て回復したり、()くなったりすることが、仕組みとして組み込まれているのです。人々の日常/非日常の行動が、感染のしやすさに関わり、感染者数の日々の増減を左右することに焦点(しょうてん)が当てられています。

 

(4)生態(けい)における感染への対応は

寺田は、虫や鳥など身近な動物の行動や生態にも関心を持っていました。人間にとっては害虫であっても生態系としては(あた)えられた役割(やくわり)を果たし得ることをとりあげた(うじ)の効用」を紹介してみます。

一般的には「蛆虫めら」と他人をさげすむときに使われ、蛆への評価は極めて低いのですが、実は「街の清掃(せいそう)係」として道ばたの鳥や(ねずみ)死骸(しがい)(かた)づけてくれるだけでなく、人間の化膿(かのう)した(きず)をなめつくすことで、外科的治療に使われたこともあったのです。「蛆が人間や自然の作ったきたないものの浄化に全力をつくす」ことにも目を向けています。

 

生態系には“天然の設計によるバランスの仕組み”ありそうです。このことが“新型コロナウイルスの撃退(げきたい)除去(じょきょ)”に当てはまるかどうか、軽度の感染で抗体を獲得(かくとく)することで、感染症へのより強い対応力を獲得できる可能性など、生態系の視点(してん)での科学的アプローチもありうるのです。

 

新型コロナウイルスが“こわいもの”であっても、そのこわさの意味を科学的に理解し、命や健康への直接の危害(きがい)のみならず、経済(けいざい)、社会への深刻(しんこく)な禍をもたらさないようにするための冷静な対応が重要です。

ここでは、科学的知識ととらえ方を()まえ、コロナ禍にしっかりと向きあうためのヒントを寺田寅彦のエッセイに見出してみましたが、少年・少女の皆さんには原文のエッセイに直接()れてほしいと願っています。

 

20213月記)

 

 

 

<推薦図書または参考資料>

 

[1] 池内了編:科学と科学者のはなし  寺田寅彦エッセイ集、岩波少年文庫 510、岩波書店、2000

 

[2] 小宮豊隆編:寺田寅彦随筆集第4巻、岩波文庫31-037-4、岩波書店、1991