2023年度「子ども大学かまくら」 第1回授業
「10歳からの哲学サロン 考えてみよう、幸せに生きるために!」
講師 板生 郁衣先生 (日本カント学会正会員 (公財)鎌倉婦人子供会館役員)
6月4日(日)午前10時から
鎌倉芸術館小ホール
(授業レポート)
哲学とは私たちが幸せな人生を送るにはどのような考え方、振る舞い方をすればいいのか、それを追求する学問です。ギリシャの哲学者ソクラテスは多くの人と対話を続けているうちに「世の中で賢人と呼ばれる人は一番大切なことを『知っている』と思い込んでいる。しかし自分は一番大切なことを『知っていない』ことを『知っている』」と気づきました。これを無知の知と言います。そして「反省したら自分の振る舞い方で示しなさい」という「知行合一」=知恵と振る舞いを一致させて行動すること=を訴え続けました。
ところが、対話を続けているソクラテスに反発する人たちも出てきて「役立たない考え方を都合のいい考え方にすり替え、青年たちの心を腐敗させ、ダメにしている」「国家の裏切り者」という噂を流し、死刑を求めたのです。裁判所は大衆の圧力に負け「死刑」の宣告を出します。弟子たちは減刑を求めますが、聞き入れられず、死刑が決定します。弟子たちは船まで用意して脱獄を勧めますが、ソクラテスは「私は、ギリシャという国の決めている最高神ゼウスを信じないで、自分の心の中に聞こえてくる魂の声が正しいと信じてきた。このために私は国の法律を破った。もし脱獄すると二度、国の法律を破ることになる」と拒否。結果としてソクラテスは弟子たちが差し入れた毒ニンジンの汁を飲んで、絶命しました。
ソクラテスは70歳。今から2500年前の出来事です。
「善く生きることは善く死ぬことである」「人として正しく生きることは正しく死ぬことであり、死は身体の中に閉じ込められている魂が自由に飛び立つこと、だから死を恐れず嘆き悲しむことではない」
このソクラテスの言葉を思い出して、私は時々、質問してみたくなるのです。
「ソクラテス先生、死後の世界はどうですか?」
もちろんソクラテス先生から、何も返事はなく、むしろ、こんな声が聞こえてきます。
「私は無知の知を教えたではないか。自分はどういう風に生きたらいいのか、どういう風に死んだらいいのか、自分で判断しなさい」
(この後、オリンピック、多数決による民主主義政治、アテネの学校などのお話があり)
日常の中でちょっと立ち止まって自分を振り返って、今日1日、自分はどうだったかな?と反省してみる、明日からはこういうふうにやろうと見直してみる。それがソクラテスの言っていた無知の知、哲学の始まりです。哲学の基本は人のことを言う前に自分はどうなんだ?ということに気づくこと。それが大切な教えになっています。
(文責=森 牧 写真=島村國治)
注=板生いくえ先生の著書に、西洋哲学の入門書として「14歳からの哲学サロン 古きをたずねて新しきを知る」(銀の鈴社刊、定価1800円)があります。