2013(平成25)年度 第2回授業

 「外国とのおつきあい

講師: 溝口 道郎先生

 元カナダ大使

 

7月6日(土)14時~16時  

円覚寺大方丈にて

 

 

 

授業レポート・要約


[先生のお話し]

 

私は子ども大学かまくらのみなさまとお会いできることを楽しみにしておりました。私も小学校6年生から鎌倉に住んでおり、鎌倉大好き人間です。

なぜ外交官になったか良く聞かれるんですが、一つは11歳までニューヨークに住んでいたので英語ができる。もうひとつの理由は第二次世界大戦が終わった1945年に、私は汽車に飛び乗って東京駅で降りたら、ビルや木は焼け落ち、見渡す限りトタン屋根の小さな小屋が並んでいて、人々はそこに住んでいました。2週間後に由比ヶ浜の海岸に行ったら沖にアメリカの軍艦が100隻以上並んでいました。こんな国と日本はバカな戦争をなぜやったのか。戦争で亡くなった日本人は300万人。平和な日本がいい、そのためにも外交官に、というのがもうひとつの理由だったかもしれません。

幸いにして大学在学中に外交官試験に合格して1952年に外務省に入りました。ちょうど講和条約が発効してアメリカとの戦争状態が終わった年でした。

 

7ヶ国に住み、出張で訪れた国は100近くに

 外務省は日本国政府の外国とのおつきあいをする窓口です。私は40年間、外務省にいて、その半分は東京で勤務し、残り半分の20年を外国で過ごしました、外務省には6000人近くの人が東京の外務省と外国の大使館、領事館で働いています。国の数は国際連合に入っている国で193ヶ国。全部に大使館があるわけではありません。アフリカの50ヶ国のうち20ヶ国にある大使館が、その近くの国々との外交を兼任しています。反面、アメリカや中国などの大きな国では、首都にある大使館のほかに、大都市にも総領事館を置いています。

私はアメリカ、フィリピン、サウジアラビア、スイス、オーストラリア、デンマーク、カナダの7ヵ国で勤務しました。出張などで訪れた国を合わせると100近い国に行っていますが、住んだ国は7つです。

「どこが一番良かったか」と聞かれます。これは答えるのが難しいです。世界中、どこの人も住めば都、自分の国が世界で一番いいと思っています。ですから皆さんも口がまがっても、「あなたの国はきらいだとかダメだ」と言ってはいけません。

 

暑いサウジでは空飛ぶスズメが焼き鳥に

「ところ変われば品変わる」と言います。暑い国もあれば寒い国もある。

私が行ったサウジアラビアの首都リヤドでは、一年中夏で、50度です。50度になると空飛ぶスズメが焼き鳥になって落ちてくる。車のボンネットで卵の卵焼きができる。これは冗談(じょうだん)です。

逆にカナダは寒いです。10月から4月までは雪が積もって、私がいたオタワは寒くて、零下30度になります。帽子をかぶって耳をおおっても外を15分ぐらい歩くと頭が痛くなります。テレビ画面が真っ赤になり、番組が中止になります。テレビが真っ赤になったら外出禁止です。

いいことがあります。川が凍ってスケート場になり、家の周りではスキーで歩くノルディックスキーができます。30分もやると汗だくになって気持ちよくなります。

食べ物ですが、回教国ではブタは不浄のため食べられません。そのため私はブタ肉とかベーコンはわざわざベイルートに行って、買ってきたりしました。インドでは牛が聖なるもので、食べていけないことになっています。

 

「スイスのパンはまずい」と言ったら怒られた

食べ物は非常にデリケートで、失敗したことがあります。「ハイジ」という本のなかで、ピーターという友達のおばあさんが、黒いパンは固くておいしくないから、ドイツからアルプスに帰るときに白いパンをたくさん持って帰るという場面がありました。スイスのパンは黒くて、硬くて、あまりおいしくない。その理由は、国防に力を入れているため、フランスから輸入した小麦を一年間倉庫で備蓄します。ですからスイスでつくるパンは一年間、備蓄された古い小麦で、それだけパンはおいしくないのだと聞かされてきました。

ある時、スイス人に「君、スイスのパンがまずいのは、倉庫に一年間入れているからかねえ」と言いましたら、ものすごく怒って、「スイスのパンがまずいとは何事か」と。それからはしばらく口もきいてくれませんでした。ですから皆さんはどの国に行っても、その国の食べ物はまずいなんていうことは、絶対言ってはいけません。

 

ベトナムではサルの脳みそが一番のごちそう

私は食べ物の趣味があります。ベトナムのハノイのマーケットに行ったら、生きたサルを籠(かご)の中に入れて売っているんです。「あれは何だ」と聞いたら、「ベトナムでの一番のごちそうは生きたサルの頭に穴を開け、脳みそを食べることだ」と言うのです。

一番のごちそうと言えばアラビアではヒツジの丸焼きです。主賓(しゅひん)で呼ばれると、「溝口、手を出せ」と言うから右手を出します。回教国では左手は不浄で、ごはんを食べるときは左手を使いません。右手を出したら、グチャッとしました。なんだと思って見たら、ヒツジの目玉です。「食べろ」と。魚のタイの目玉より少し大きいですけが、目玉の周りのジェリー状のグジャグジャしたのを食べるわけです。

この間、ヒラリー・クリントン元国務長官が書いた自伝を読んでいましたら、大統領についてロシアに行った時のことが書いてありました。エリツイン大統領が「今日はご馳走する」とブタの丸焼きが出てきた。エリツインがまずブタの耳を切ってクリントンに出して「大統領、これ食べて」と。クリントン大統領は胃袋が強い人だったので食べた。残りの耳はエリツインが食べたんです。クリントン夫人は「ブタの耳は二つだけでよかった。次は私の番だった」と書いてありました。

 

「今日は寿司ないのか」と怒られる

私が外国の人を招待するときは日本食を出します。昔は刺身やお寿司を食べない外国人がたくさんいました。しかし今は世界中、お寿司が大好きです。ロスアンジェルスの空港にはお寿司のレストランがあります。この頃は外国人をお呼びすると、「今日は寿司ないのか」と怒られるほどです。大使とか総領事になると、日本からコックを連れていくのです。和食の出来るコックを連れて行かないと困る状態になります。

外国には色々な習慣があります。回教国では女性が差別されているところが多いです。サウジアラビアでは女の方は車の運転はできない。イランの人は、女性とは握手しません。イランの外交官は男とは握手するけど、女性の大使とは握手しないんです。女性大使はブーブー怒るんです。「イランの人はけしからん」って。

サウジアラビアでの結婚式は、男女ご夫婦二人とも一緒には出てこない。家内と二人呼ばれても、家内が行ったところでは、お嫁さんだけ、私が行った結婚式場では、男性にだけ会う。それと逆で、アメリカではレディーファーストで、女性が非常に大事にされています。ドアを出るとき、入るときにも女性が先で、男性が後です。

習慣にもいろいろあります。時間の問題です。東南アジアや中東に行くと、時間の約束をしても15分や30分、ひどい人は1時間も遅れてやってきます。ところがデンマークでは、「夕食は8時だよ」と呼んだとします。8時前にだれも来ない。8時になったらドアのベルがビーンとなります。ドアを開けると20人の人たちが一列に並んでいます。

 

ドロボー4回で両足両手首切断

刑罰にもいろいろあります。サウジアラビアでは刑罰が厳しい。お酒を飲んでいるところが見つかるとムチ打ち20回。ドロボーをすると左手を切られます。二回目にすると右手。それでドロボーを止める人がほとんどですが、3回目にやった人は左足を切られ、4回やったら右足です。両手両足がない人がロラースケートのような板の上に腹ばいに乗っているのを見ました。

処刑は皆公開で、アラブの国は回教、金曜日がお休みです。金曜日のお昼のモスクでの礼拝が終わると、街の真ん中の広場で処刑が行われます。私も手を切られるとか首を切られるのを何回も見ました。

マレーシアでは麻薬を持っているのがつかまると、死刑になります。成田空港で知らない人が寄ってきて日本人の旅行者に「マレーシアにいる母親が病気だから薬を持って行ってくれないか。空港には兄が来ているので渡してくれ」と言われて荷物を渡された。それでクアラルンプールの空港で捕まったら麻薬でした。皆さんも空港で知らない人に荷物を持って行ってと言われても引き受けてはいけません。怖いことになります。

 

日本の女性は世界一の評判

世界中で日本の評判はいいです。外国の人は「日本は治安がいい。大都会で女性が夜に歩いても大丈夫だ」「街が非常に清潔だ」「東北の大震災で、壊れたスーパーでも日本人は盗みをしなかった」「教育程度も高い」と感心しています。とてもうれしいことです。

特に評判がいいのは女性です。男性はあまりもてません。世界中どこへ行っても、外国の方と結婚した日本の女性がいます。日本の女性は優しくて親切だと評判が高い。

外国にはこんなジョークがあります。世界中で一番幸せな男は、給料はアメリカ人並み、コックは中国人、家はイギリス式の家、奥さんは日本人。逆に世界で一番不幸せな男は、コックはイギリス人、家は日本の家。お給料は中国人の給料。奥さんはアメリカ人。これは昔の古いジョークで、日本の家もよくなっていますし、英国の料理もおいしくなっています。中国の給料もあがっています。

 

日本ほど水の豊富な国はない

もう一つびっくりした話があります。日本は資源が少ない。例えば石油はほとんどない。サウジアラビアにいたとき、サウジアラビアの偉い人とジープに乗って砂漠を走ったことがあります。私が「この砂漠の下には埋蔵量世界一の石油がある、うらやましい」と言ったんです。そしたらその方は「とんでもない。日本は地下に水がいっぱいある。石油は飲めないけれど水は飲める。アラビアは水で苦労している。日本の水とサウジアラビアの石油を交換するならいつでも交換する」と言うんです。びっくりしました。考えてみると日本は水のおかげで山は緑が豊かだし、食べ物はおいしいし、花は咲く、景色はいい。鎌倉は水がおいしい。

 

イランの若者は寅さんが嫌い

外交官はどんな仕事をしているのでしょうか。外国に住んでいる日本人、旅行者のために選挙の受付、出生届、死亡届なども受け付けています。外国でパスポートを落としたとかお金をスラれたとかいうときは大使館で新しいパスポートを発給し、お金を貸します。

それから広報です。外国の人に日本はどういう国か、という説明をします。私もアメリカでは2年間に100回ぐらい各地で講演しました。そのために日本の政治、経済、文化を勉強します。日本から柔道、生け花、文学、歌舞伎、お茶、お相撲と、プロの方に来てもらって話や実演をしてもらいます。日本映画を見せることもあります。欧米で評判がいいのは寅さんの映画で、寅さんのユーモアが通じて外国の人も笑っています。ところがイランでは評判が良くない。途中でみんな立って出ていってしまった。寅さんが神社の境内でいろいろな物を売っているのは、イランの若者にとってはちっともおもしろくない。

 

間違ったら大変な情報収集

外交官の一番大きな仕事は情報を集める仕事です。仕事で出向いた国はもちろんのこと、その周りの国、例えばヨーロッパですとヨーロッパ全体の地域の情勢について情報を集めます。民主主義国ではそれほど難しいことではありません。アメリカではテレビのCNNを見ていればわかります。難しいのは王制の国、独裁者の国です。

世界中で日本との国交がないのは北朝鮮だけで、大使館はありません。北朝鮮にはデンマークの大使館があります。ニュースは政府が全部統制していますから、外交官は大変です。

情報を集めるだけでなく、意見を東京に報告しなければなりません。例えばイランにいる日本の大使は、2、30年前にはイランはパーレビという王様がいました。王様は警察を使ってニュースを全部統制していました。

ところがイランは非常に豊かな国で、イランで商売をしたり、工場をつくりたいという日本企業はたくさんありました。企業として一番知りたいのは、イランの王様はいつまでもつかといことです。王様が倒れたら混乱が起きて工場は焼かれる、商売はできなくなる、大使館はどう思っているのか、と聞いてきます。

しかしイランにいる大使は東京に対して、「王様はもう長くない」と報告して、万一、新聞に出たら、その大使はたちまち追放されます。結局、日本の大企業は「まだ大丈夫だ」と独自に判断して、イランに工場をつくったんです。間もなく、革命が起きて、王様は倒れました。日本の企業は怒ったんです。大使館の情報は違っていたと。こういう場合、大使館も大変なんです。

 

情報収集で判断間違えた結果が敗戦に

一番情報を間違えたのは皆さんが生まれる前のことです。

ドイツのヒットラーは世界を制覇(せいは)すると信じていた人と、逆にヒトラーと組んではだめだ、英米と組んだ方がいいという人と、外務省のなかでも半分に割れていました。結局、日本はドイツ、イタリーと同盟を結んで、戦争に入って大負けをしてひどい目にあいました。300万人も死んだのです。外交官だけが悪いわけではなく、軍部では、海軍は英米と組んだ方がいいという意見が多かった。ところが陸軍がドイツと組むべきだ、ヒトラーのドイツは勝つと主張して、結局、ヒトラーのドイツと組んだ日本人はひどい目にあいました。

外交官が情報を集めるのは、民主主義国の国でも容易ではありません。東京にいる各国の大使は、「日本の政治は分からない。夜、料亭などの密室で話をするから」と言います。最近は少なくなってきたようですが。

 

お酒や食事で親しくなるのが早道

アメリカにいる日本の大使館は、大統領選挙のときはどちらが勝つかを選挙前に東京に報告しないといけません。オバマとロムニーの選挙では、ロムニーが勝つという情報もありました。情報がたくさんある民主主義の国でも自分の意見を報告しなければならない難しい場合があります。

情報を集めるためには新聞やテレビを見ただけではだめです。先年、イラク戦争では英米がイラクと闘って、大統領のサダムフセインが捕まって殺されました。あの戦争で、サダムフセインはアメリカのテレビCNNを見ながら、米軍が次はどこに来るかを予測して、非常に助かったという話があります。

それほど英米、日本ではなんでもテレビに出るので、情報を集めるのはそんなに難しくはありませんが、やはり正確に早い情報を得るためには、外交官は現地で普段から勉強をする。そして政治家、官僚、学者、財界の人と付き合ってなくてはなりません。ただ日本の会社も同じですけど、二年か三年で転勤になりますので、二、三年の間に親しくなって、情報を出してくれるような関係になるのは容易なことではありません。前任者と引き継いで情報網を引き継ぐとか、一緒にお酒を飲んだり、食事をしたりして親しくなるのが一番の早道です。

 

ジョークの交換が大切な仕事

ところが大使公邸では夫人同伴ですから社交が主で、こみいった話をするのは無理ですが、親しくなることは可能です。一番親しくなるのは食事の後です。食事の後、コーヒーを飲んで、お酒、場合によってはタバコやシガーをふかして、そして雑談をします。その雑談が大切なのです。日本では宴会(えんかい)の後、カラオケが始まります。

欧米では食事の後に何をするか、冗談(じょうだん)、ジョークの交換なんです。人を呼んだ場合、主人公がまずジョークを言わなければなりません。

いつも同じジョークをするわけにもいきませんので、そのワインを買いこむと同じように、ジョークも集めておかなければなりません。ジョークもソ連とアメリカの冷戦時代はお互いにスパイをたくさん使っていました。日本にもいろんな国のスパイがいると思います。その当時はスパイの話がジョークによく使われました。

 

冷戦時代のジョークのネタはスパイ問題

当時のジョークを紹介しましょう。

アメリカのCIAのスパイがモスクワのホテルで話をしています。一人が「今日はクリスマスイブだよね」「いまごろはマンハッタンでドンチャン騒ぎをやっているだろな」「おれたちは寒いモスクワのホテルで男だけで話をしている、情けないよね、シャンパンでも飲みたいよね」

そしたら10分後に部屋のベルが鳴りました。ホテルのボーイが包みを持ってきた。包みを開けてみたらシャンパンが2本と手紙が入っています。「たまにはこれでも飲んでくつろいでください。ソ連スパイ本部」。ソ連のスパイ本部、ゲーペーウーがホテルで電話の盗聴(とうちょう)をしていたわけです。

最近はそういうスパイを話題にしたジョークはありません。代わりに政治家などを使ったジョークが出ます。

 

戦後65年、戦争に巻き込まれなかった日本

外交の目的は、国の安全を守り、平和な、豊か国にすることです。戦後65年、朝鮮戦争、ベトナム戦争がアジアで起きましたが、幸いなことに日本が空襲されたり、戦争に巻き込まれたことはありません。日本は平和な状態を守って、国が発展しました。また自由貿易のおかげで、日本はテレビや自動車、機械を輸出できるようになりました。江戸時代は銀やお茶、戦争前は絹を輸出しました。ソ連の外交官は「日本はすごい、戦争に負けたのに、経済で世界を制覇(せいは)した」と言っていました。

日本人がみんなよく働いたおかげで、国が豊かになり、一時はアメリカに次ぐ二番目の経済大国になりました。今では少し落ちて、経済では日本より中国が大きくなりました。中国は人もたくさんいますので、これはやむをえません。今後50年の間に、さらに日本はブラジル、ロシア、インドに抜かれていくようです。これも人口が少ないのでやむおえないことだと思います。

 

 

小学生の皆さんに4つの提言

この辺で若い小学生の皆さんに私から提言したいことがあります。

第一に、皆さんも意見を持ってください。この子ども大学の「なぜだということを聞け」がテーマになっているそうですが、いいことです。小さい時から自分の意見を持つ、沈黙は金と言いますが、時と場合です。外国の人は黙っている人は尊敬されません。「あいつはバカじゃないか、気味が悪い」「何を考えているのかわからない」と言われます。ですからご家庭でも、学校でも外国の人と一緒のときでも、どんどん意見を言ってください。

第二に、意見を言うことは難しいことです。そのためには勉強しなければなりません。学校の勉強のほかに、いろいろな本や新聞を読んだり、テレビを見たり、漫画でもよし、お父さんお母さんの意見を聞いたりして、自分の意見を持つことが大事です。

第三に、できれば、もう少し大きくなってから外国に旅行したり、短期間でも留学したりすることが大事です。最近は高校生でも、外国に行く人は増えています。せっかくホームステイに行っても、外国のファミリーと会話をしないで、ごはんを食べたらすぐ自分の部屋にこもってEメールをしたりしている生徒もいるようです。これではせっかく外国に行っても意味がないと思います。

留学でも、青年協力隊というのがあります。外務省の外郭団体で、JICA(ジャイカ:国際協力機構)という機関があります。毎年2000人の20歳から40歳の人で、大学を出て就職する前に2年間、アフリカ、中近東、東南アジアに出かけて技術指導、柔道や体操、小学校の算数の先生、看護士、道路工事の手伝い、農業の指導などをしています。詳しくはインターネットでご覧になるとよいと思います。

第四は、英語を勉強することです。英語でなくてもフランス語でも中国語でもハングルでもいいんです。しかし英語が一番役に立つと思います。コンピューターをやるにしても、大会社でも外国の職員が増え、会議を全部英語でやる会社も出てきています。ただ英語の力は会話だけではだめで、教科書だけでなく、いろんな本を読んで、英語の力をつけることです。

 

国民一人ひとりが外交官

最後にひと言申し上げます。

外国人とのおつきあい、ということは特別なことではありません。日本人とのおつきあいと同じです。ウソをついてはいけません。ウソをついたら一回は通じるかもしれません。しかし二回はもちません。やはり人間の信頼というのは誠意をもって本当のことを言う。それが人間と人間のお付き合いで、外国人であろうと日本人であろうと同じです。

外交は、専門家だけがやっていることではありません。特に民主主義の国では、国民一人ひとりが外交官だといえます。みなさんが街を歩いているときに、外国の人に道を聞かれたら教えてあげる。「ぼくが一緒に行ってあげるよ」と言ってあげる、そういうのが大事な外交です。

アメリカと中国は長い間、外交がありませんでした。それがあるとき、ピンポンの国際大会でアメリカと中国の選手が試合で対戦したことがきっかけで国交回復ができたという実話があります。日本と中国でも外交関係がないときに日本の財界の高崎さんと中国の実業家、廖承志(りょうしょうし)さんの二人が協定を結び、頭文字をとってLT貿易を始めて、それが日中の外交関係回復の橋渡しになりました。小学生の皆さんを含めた国民全体が外国の人とどういう風にお付き合いするかというのが結局、日本の外交の元になる大事なことです。

日本は戦争で酷い目にあいましたが、ここまで国が立派になってきました。これは日本人がみんなよく働いたからだと思います。今後の日本は皆さんのような小学生の元気な方々が、日本をどうするか決めるときです。日本の将来、外交は皆さんの肩にかかっています。私は大いに期待しています。今日は本当に皆さんとお話ができて、ありがとうございました。残りの時間、みなさんの質問をどんどん出していただきたいと思います。(了)

◇ 質問コーナー ◇

 

Q 好きな言葉は何ですか

溝口先生 好きな言葉は平和。

 

Q いままでで一番大変だったことは何ですか。

溝口先生 戦争中の湘南中学2年生のとき、藤沢の工場で働いていました。朝早く行って、冷たい油でか     じかんだ手で機関銃の弾をつくっていました。それが大変でしたね。

 

Q 今までで一番平和だったと思ったときはありますか。

溝口先生 今日は平和で楽しい。

 

Q いままで一番楽しかったことは何ですか。

溝口先生 外国で生活して日本に帰ってくると楽しいです。鎌倉の街を歩くと、あれ、鎌倉はもっと大き     い所ではなかったかなと思うこともあります。街を歩いている人は皆、日本語をしゃべる。あ     あ、ここは日本だ。うれしい。僕の友だちには日本に久しぶりに帰ってきて、歩いている人は     みな日本人だと大喜びして、一人ひとりを抱きしめたいと思ったという人もいます。飛行機か     ら富士山を見ると涙が出ます。

 

Q これから何をしていきたいですか。

溝口先生 いい質問ですね。皆さんのように洋々たる将来があるわけではありません。いま二ケ所で英語     を教えていますが、世の中に役立ちたつことをやっていきたいと思います。

 

Q 外交官の仕事をして、一番良かったと思ったことは何ですか

溝口先生 40年間外務省で働いてきましたが、その間、日本がどんどん立派な国になってきた。私が学     生のころは食べ物がなくて、お米も配給でした。お米がないとサツマイモになり、イワシが配     給になったこともあります。食べるものがなかった。選挙に立候補した人のスローガンが「米     3合、イワシ3匹」でした。外食券を出さないとレストランで食べられない。高等学校の寮で     は食べ物がなくなると学校が閉鎖になります。外務省に入ってアメリカの大学に行ったら、食     べ物がいっぱいあるじゃありませんか。食堂にはミルクの入ったピッチャーが置いてあって飲     み放題だった。アメリカはいいな、食べるものがいっぱいあって。今では日本でも食べ物があ     ふれています。多すぎるくらいあふれています。日本がどんどん豊かになったことが一番うれ     しいことでした。国際会議でも日本の国力がない時は、だれも日本の言うことは聞きません。     ところが日本が豊かになり、世界の大国になったら私たちが国際会議で何か言ってもみんな      が聞いてくれます。何も私がいいことを言っているからではなくで、日本という国をバックに     してるから、日本の代表が何か言っているからと耳を傾けて聞いてくれます。日本の地位が上     がったということが一番うれしいことでした。

 

Q 今の日本をどう思いますか。

溝口先生 日本の将来は明るいと思っています。いろんな難しい問題があります。例えば中国と韓国との     関係ですが、どの国も近い国との関係が難しいものがあります。日本も周りの韓国、中国、ロ     シアと色々な問題があって心配な点もあります。しかし、全体としては日本人は勤勉で、教育     レベルは高いです。学校もいい学校がある。だから私は日本の将来は明るいと思っています。

 

Q これまでに何ヶ国の人と会ったことがあるんですか。

溝口先生 100ヶ国ぐらいです。

 

Q 日本では今はスパイを出していないといわれましたが、昔は出していたんですか。

溝口先生 戦争前は日本の軍隊は外国にスパイを出していましたが、今は出していません。

 

Q 先生のだれにも負けないことは何ですか。

溝口先生 難しい質問ですね。私はゴルフも歌も下手。碁も好きですが下手。だれにも負けないことは日     本の国を大事に思うことはだれにも負けないつもりです。(了)

(文責 横川)